T. 文字表現について
1.対応策としての Acrobat 依用
1.1. 可能性
1.2.
2. Itran の改造
U. Hyper Text の応用
1.特に参照文献のリンク応用について
V. 実験
1. Project A
1.1.「 『華厳経』における〈svakarman〉」を採り上げた実験例
1.11. 素原稿 [W.1_0]
1.12. 処理中の原稿 (Hyper Text 処理中)[W.1_1]
1.13. 処理中の原稿 (E_ Sansakrit Text 処理中)[W.1_2]
2. Project B
2.1. International Association of Tibetan Studies の Abstract と Proceeding〔W.21〕
2.11.処理中の原稿 (E_ Sansakrit Text 処理中)[W.2_11](完成) 「研究室」研究論文の部に掲載
2.2. International Dharmakiirti Conference の Abstracts と Proceeding〔W.22〕
2.2.1.処理中の原稿 (E_ Sansakrit Text 処理中)[W.2_21](完成)
「研究室」研究論文の部に掲載
W. 実験素材
1. 菩薩の行動(業)と<三密>
- 三密加持とその原初の形態 -
素原稿 ブラウザの幅を次の点線に合わせてください。 <.......................................................................................................................>
Archive Ref. No.1
Title: 菩薩の行動(業)と<三密>
- 三密加持とその原初の形態 -
-『華厳経』における〈我業〉(svakarma)-
Author: 生井智紹(Chisho Mamoru Namai)
Data: 1997/06/
密教研究会50記念学術大会における研究発表草稿
Date: 学術誌『 』に公表するとともに、 Web 上の別形態の可能性を探るための
Hyper Text 化して Web 上(http://www.bekkoame.or.jp/~vajra)において閲覧可能なものとする。
Text: Archive Ref. No.1 Title: 菩薩の行動(業)と<三密> - 三密加持とその原初の形態 - -『華厳経』における〈我業〉(svakarma)- Author: 生井智紹(Chisho Mamoru Namai) Data: 1997/06/ 密教研究会50記念学術大会における研究発表草稿 Date: 学術誌『 』に公表するとともに、 Web 上の別形態の可能性を探るための Hyper Text 化して Web 上(http://www.bekkoame.or.jp/~vajra)において閲覧可能な ものとする。 Text: -『華厳経』における〈我業〉(svakarma)- svakarman とは、自らの行為という意味であるが、それには若干検討すべきニュアンスが 含まれる。まず karman という語は、古代インド思想界にあっては特に輪廻という観念と密 接に結びついて思想的に展開する。 インドにおいて人の行為は輪廻説との関わりで本来の意義が探求されはじめた。たとえば B3hadqranyopani2ad では次のような文脈に典型的な使用例を見ることができる。 それ(Qtman)は人の行為に従い、行動に従って、それに応じたものとなります。善行 をな せば善くなり、悪行をなせば悪くなります。福徳の業によって福徳あるものとな り、 悪業によって罪あるものとなるのであります。 さて、『この人間は、じつに、欲望から成るものである』といわれております。彼は 欲望 のままにそれを意図するものとなり、何事かを意図すればそれを行い、何事をか意 図 すればそれに応じたものになるのであります。(5) この点について次の詩節があります。 執着ある人は、その特徴である思考力(欲望)がつなぎとめられているとこ ろへ、 業とともにおもむく。 この世で彼が何をなすにしても、その業(の招く果報)のはてまでいたり、再 びその世界からこの世へと業を積むためにかれはたちもどる。 欲望を持つ人の(死後の運命は)以上のとうりです。 (服部正明訳:「ウパニシャッドー自己の探求」『世界 の名著 1』 p.98) 無自覚な善悪の行為を重ねることによってQtman はその自己責任を負うて輪廻する主体 となる。 仏教徒にあっては無我説が説かれ、個我として永続する輪廻の主体であるアートマ ンは実在しないとされる。しかし、善悪の行為が現象する限り、その果報という自己責任を 負うた輪廻内存在は苦としての生死を歴順することに変わりはない。 その中で輪廻的存在としての存在を見つめて自覚的行動者として自らの行動を起こし、さ れには本務(svakarman)を遂行する自我が探求されることになります。その際、自らの行為と その責任とに目覚めた自己は、その行為の規範を求めることになる。それが dharma つまり 古代インドに普遍する行動規範(dharma)との関連で捉えられとき, dharma に関する学問 Dharma1qstra が必要とされることになる。 インド古代において、この三者がどのように認識されていたかを検討する場合、この三者 の複合語 svakarman svadharman という語が重要なキーワードとなる。つまり 自覚的行為 (svakarma)と自覚された行動原理(svadharma) という風にそれぞれを捉えることができる。 0.321.宿業としての svak3ta p[rvakarma と karmaphala を説明する原理としての dharma 0.322. svadharma に基ずく意識的行為としての svakarma この状況を知る恰好の資料がインドの大叙事詩 マハーバラタの中に見られる。この語に興 味を持ったのは日本仏教学会の昨年の大会れとの関連する語をマハーバーラタの全文テクス トから検索致しますと、いくつかの興味深い用例が見出されますが、かつてカルマーシャパー ダ王の伝説に関連して研究しました次の 森林章における狩人と聖人の対話の中にこの両者の 複合語の典型的な使用例が頻出致します。 1. 0.33. 狩人と聖者との対話 Mahqbhqrata Vanavqda III.199.15ff. 0031990133/.saudaasena.puraa.raajnaa.maanuSaa.bhakSitaa.dvija./ 0031990135/.zaapa.abhibhuutena.bhRzam.atra.kim.pratibhaati.te.// 0031990141/.svadharma;iti.kRtvaa.tu.na.tyajaami.dvija.uttama./# 0031990143/.puraa.kRtam.iti.jnaatvaa.jiivaamy.etena.karmaNaa.// 0031990151/.svakarma.tyajato.brahmann.adharma;iha.dRzyate./# 0031990153/.svakarma.nirato.yas.tu.sa.dharma;iti.nizcayah.//# 0031990161/.puurvam.hi.vihitam.karma.dehinam.na.vimunncati./ 0031990163/.dhaatraa.vidhir.ayam.dRSTo.bahudhaa.karma.nirNaye.//# 0031990171/.draSTavyam.tu.bhavet.praajna.kruure.karmaNi.vartataa./ 0031990173/.katham.karma.zubham.kuryaam.katham.mucye.paraabhavaat./ 0031990175/.karmaNas.tasya.ghorasya.bahudhaa.nirNayo.bhavet.// 0031990181/.daane.ca.satya.vaakye.ca.guru.zuzruuSaNe.tathaa./ 0031990183/.dvijaati.puujane.ca.aham.dharme.ca.niratah.sadaa./ 0031990185/.atibaada.atimaanaabhyaam.nivRtto.asmi.dvija.uttama.// 0031990191/.kRSim.saadhv.iti.manyante.tatra.himsaa.paraa.smRtaa./# 0031990193/.karSanto.laangalaih.pumso.ghnanti.bhuumi.zayaan.bahuun./ 0031990195/.jiivaan.anyaamz.ca.bahuzas.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990201/.dhaanya.biijaani.yaany.aahur.briihy.aadiini.dvija.uttama./ 0031990203/.sarvaaNy.etaani.jiivanti.tatra.kim.pratibhaati.te.//20 0031990211/.adhyaakramya.pazuum.caapi.ghnanti.vai.bhakSayanti.ca./ 0031990213/.vRkSaan.atha.oSadhiiz.caiv.achindanti.puruSaa.dvija.// 0031990221/.jiivaa.hi.bahavo.brahman.vRkSeSu.ca.phaleSu.ca./ 0031990223/.udake.bahavaz.caapi.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990231/.sarvam.vyaaptam.idam.brahman.praaNibhih.praaNi.jiivanaih./ 0031990233/.matsyaa.grasante.matsyaamz.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990241/.sattvaih.sattvaani.jiivanti.bahudhaa.dvija.sattama./ 0031990243/.praaNino.anyonya.bhakSaaz.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990251/.cankramyamaaNaa.jiivaamz.ca.dharaNii.samzritaan.bahuun./ 0031990253/.padbhyaam.ghnanti.naraa.vipra.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990261/.upaviSTaah.zayaanaaz.ca.ghnanti.jiivaan.anekazah./ 0031990263/.jnaana.vijnaanavantaz.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990271/.jiivair.grastam.idam.sarvam.aakaazam.pRthivii.tathaa./ 0031990273/.avijnaanaac.ca.himsanti.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990281/.ahimsaa.iti.yad.uktam.hi.puruSair.vismitaih.puraa./ 0031990283/.ke.na.himsanti.jiivan.vai.loke.asmin.dvija.sattama./ 0031990285/.bahu.samcintya;iha.vai.na.asti.kazcid.ahimsakah.//# 0031990291/.ahimsaayaam.tu.nirataa.yatayo.dvija.sattama./ 0031990293/.kurvanty.eva.hi.himsaam.te.yatnaad.alpataraa.bhavet.// 0031990301/.aalakSyaaz.caiva.puruSaah.kule.jaataa.mahaa.guNaah./ 0031990303/.mahaa.ghoraaNi.karmaaNi.kRtvaa.lajjanti.vai.na.ca.//30 0031990311/.suhRdah.suhRdo.anyaamz.ca.durhRdaz.caapi.durhRdah./# 0031990313/.samyak.pravRttaan.puruSaan.na.samyak.anupazyatah.// 0031990321/.samRddhaiz.ca.na.nandanti.baandhavaa.baandhavair.api./ 0031990323/.guruumz.caiva.vinindanti.muuDhaah.paNDita.maaninah.// 0031990331/.bahu.loke.viparyastam.dRzyate.dvija.sattama./ 0031990333/.dharma.yuktam.adharmam.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990341/.vaktum.bahu.vidham.zakyam.dharma.adharmeSu.karmasu./ 0031990343/.svakarma.nirato.yo.hi.sa.yazo.praapnuyaan.mahat.//(E) (M.Tokunaga E-Text of Mahqbhqrata listed at ftp://ccftp.kyoto-su.ac.jp/pub/doc/sanskrit/mahabharata /) ) この部分では、まずある聖者がある人から dharma をよくしる森の狩人のことを聞き、そ の狩人のもとに参ります。そこで、殺戮を生業とする狩人と聖者とが肉食をはじめとしてさ まざまな職業倫理などを含めた業と社会的規範についての対話が展開致します。その狩人の ダルマについての知識と気高い精神に感激して、聖者はその殺戮を生業とするあり方は、そ の人にふさわしくないのではないかとの疑問を出します。 それに対して狩人は、このような生業は確かに残忍で苦難の生活ではあるが、それはかつ ての自らの行為にもとづくからなのであり、その行為の力は避け難く振り払い難い、しかし その自らの過去の悪業を清めることに勤めるのは、現在与えられた過去の行為の報いとして の職業を自らの職分として受容しその分をまっとうすることがダルマにかなった自らの行動 となる、と説きます。 そしてその過去の業による現在の職分、そして自らの社会的役割(svadharama)にかなった 自覚的行動(svakarma)についての見解が狩人から陳述されていきます。 全文の詳細は省きますが、その内容から次のような分析が可能となります。 0.331. (p[rva)svakarma による dharma 上の位置 現状の根拠づけと説明 0.332. dharma による svakarman の規制 より善き生存への自覚的行 動規範 0.333. svakarma(本務) / svadharma(本分) 自らの行為を自覚して行動する際に、"karman"(宿業/行動)および"dharma"(行動の原動力 /到達点)が "sva" ( dharmaとの関連で自覚された我(qtman))に結い合わされたことばと理 解される。自らの過去の行為による社会的規範への位置づけと、社会的規範の中での行為の 意味付け。それも単にこの世のうちのできごとで解決され得ないでも特殊な世界観つまり輪 廻的な世界のうちで合理化されるものであった。またそれは輪廻内生存として永劫に存続し さまよう個人我(qtman)という生命観に基づく理念(dharma)のもとに人間の行動を意義づける 意味を持つ。 その意識が Qj]vika の思想的背景のもとに、あるいは仏教徒の思想背景のもとに思索され るときに、svakarma についての若干の差異が生じてくる。この 大叙事詩のこの部分はまさ に典型的なインドの社会精神と自らの行為を示しているといえます。 I. 仏教における karma の二側面 I.01. 仏教における この行為を検討する前に、まずこの点についての仏教徒の意識の一例 を見ておきたい。仏教文献における svakarma(本務) の一用例として、次のような文があり ます。 Sm3tij`qnak]rti: Bodhicittavivarazat]kq この際、まずさとりを現前する最初のこころを発起して、この自らの務め (svakarma/ svakriyq)を妨げるものを鎮めてその完成と自らの教主たる世尊の大いなる功徳を解き明 かそうとして聖なるNqgarujuna によって帰敬が説かれる。 de la re shig rtog pa mxon du byed pa'i sems dax pa bskyed pa dax / rax gi bya ba 'di la bar chad shi bar gyur nas mthar phyin par bya ba dax / rax gi ston pa bcam ldax 'das kyi che ba'i yon tan brjed par 'dod nas 'phags pa klu sgrub kyis phyag 'tshal ba bsuxs pa.... (東北 No.1829, fol.122b) この場合、ナーガールジュナの本務にかなったなすべき行為は、著作説法とい うことに なります。 I.1. 生存の二側面 仏教において行為ということを検討する場合、いのちの捉え方を大きく二つに分けて考え た方がよろしかろう。 I.11. 無始爾来の生死輪廻と尽未来際の菩薩道 無明にとらわれた六道輪廻のいのちと本来の世界を目指す菩薩たちのいのちという点から二 分致しますと、行為(業)は過去現在の I.12. 宿業に制約された非自覚的行為と自覚的創造的行為としての〈我業〉 I.2. 他世の二側面 これを輪廻という世界観に適用させていきますと、いずれもが他世(paraloka)の存在を要 請致します。 I.21. 苦の生存の根源としての非自覚的生存の連鎖 I.22. 然灯仏の下における前世の釈尊の誓願と授記 I.221.理想的修行者としての規範的菩薩(本生菩薩)と普賢を上首とする菩薩たちの実践へ の 誓願(普賢行願) I.222 .前世の誓願と尽来世際の菩薩の願に基づく菩薩行として自覚された行為の場 I.3. 行為の根拠となる心相続 I.301. 生命の維持と展開の基盤としての心相続 輪廻する苦の五蘊 I.302. 智慧と慈悲の習熟の場として連鎖する菩薩の心相続 I. 31. 【必然性】 およそ,永続する拠り所に展開し,それを妨げえないものであるかぎり,さら にそれを努力することなくても,如何様にしても[その特性が]培われるような [心の徳性],それは,さまざまな優れた[浄化]作用を蒙ることにより, 明らかに,完成 の極みに達したものとなることができる。 例えば,金の純粋性のごとくである。 【所属性】この[〈心の相続〉に培われた]智慧とか慈悲とかも,上述のような特性をもつ ものである。 【結論】 [したがって,智慧や慈悲の完成を究めることが可能である。]そして,それら の徳性が完成に達し得るなら,そのとき光輝く〈一切智者たること〉があるはず である。 (Tattvasa/graha XXVI 3420-3422) !qntarakita, TS XXVI 3420-3422: ye vq sthirq1raye vttq kathacid api c禀itq/ tadbhqvqy穡unaryatnavyapekq bqdhake 'sati // saskqrotkarabhedena kqhqparyantavttaya / te sambhavanti vispaa 1qtakumbhavi1uddhivat// yathq 'bhihitadharmqa ime matidyqdaya / teq paryantavttau ca sarvavittva prabhqsvaram // I.311. 意識の属性[である慈悲・智慧など]にとって,その〈依処〉と なるのは〈心の 相続〉である。そして,それはその〈基体〉[である菩薩]に相 応して展開するのであるから,如何様にしても,滅することはない。 !qntarakita, TS XXVI 3432: mqnasqnq guqnq tu cittasantatir q1raya / s稘hqrayogato vtter na kathacin nivarttate // I.32. Kamala1]la, TSP ad TS XXVI 3432: syqd etat, prajqdes tu sthirq1rayatvam eva katha siddham? ity qha. mqnasqnqm ity qdi. s黎y cittasantati. sqdharayogato vtt黎i, boddhisattvq1raya-lakaqdhqrasambandhena pravtter ity artha; vi1iasy稘hqraya vivakitatvqt. tathq hi paralokasya prasqdhitatvqd boddhisattvqnq ca sqtm]bh[tamahqkpqqm q sasqram a1easattvoddharaq-y穽asthqnqt tadq1rayavarttin] cittasantatir atitarq sthirq1rayq. yq tu 1rqvakqd]nq santqna-varttin] sa na sthirq1rayq; teq r]ghratara parinirvqqn mandatvqt kpqyqs teqm avasthqne yatnqbhqvqd iti bhqva. Cf.also TSP ad TS 3337, TS(P) 3409-3419. .....智慧などの永遠の拠り所であることはどのように証明されるのか。.....すなわち、 他世が論証され、慈悲をその本体とする菩薩達は輪廻がある限り残りなき衆生を救い上げる ために留まりたもうから、彼らの基体として展開する心の相続は無限に永遠の拠り所とな る。........ I.33.菩提と一切智者性とは自らの心[の相続]の内にこそ現証されるべきものであるからこそ、 菩薩の心こそが 仏道の基盤(q1raya) となる。だからこそ、それが自らの自覚的行為の基と される。その意味で、菩提心が身口意の行動の基(q1raya)となり、菩提に保証される行為が, つまり法(dharma)に等値される行為(svadharma にかなった svakarman)となるロジックはイ ンドに普遍の在り方をする。しかし、そのロジックは等しくとも輪廻的生存内の社会的精神 の規範(dharma1qstra)に基を置くか出世の菩提=法界に置くかによって大きく異なる。 U. 『華厳経』(Buddhqvata/saka) における〈我業〉 II.1. 「十行品」の第二の行は、『華厳経』「十地品」の第二地の構成と同じ様に戒波羅蜜の 修習が問題とされる。引用掲の文は十行の三種浄戒による戒思想を説く第二段落の部分にあ たる。「十行品」は『十地経』の構成に十波羅蜜の解釈を付与した構成を採る。まず菩薩の魔 に犯されることない不壊の戒として摂律儀戒が示された後, その戒が魔をも調伏して戒行に 向わせしめる怨親不二の無差別の繞益有情戒として説かれる文脈のなかに〈菩薩として自覚 した行為〉が次のように説かれる。 II.11. 『華厳経』「十行品」 467b02 永沒五欲莫之能出。我今應當作如是學。 467b03 令諸魔王天女眷屬及一切衆生立無上戒。 467b04 立淨戒已。又教令得不退轉地一切種智 467b05 成等正覺。乃至究竟無餘涅槃。何以故。此是 467b06 我業一切諸佛皆如是學。離諸非行計我無 467b07 知。觀一切佛平等深法。得一切智。爲衆生 467b08 説法。斷除顛倒。 ( E.text listed at http://www.ccbs.ntu.edu.tw/canon/sutra/) de ci'i phyir zes na | 'di ltar saxs rgyas thams cad kyi rjes su bslabs te | mi bya ba thams cad yoxs su spax ba dax | lus kyis mi 1es pa thams cad yoxs su spax pa ma yin pa dax | sems kyis kyax ma yin pa de ni bdag cag gi las yin gyis | kye rgal pa'i sras dag bdag cag gis saxs rgyas kyi chos thams cad rjes su sox ba'i ye 1es kyis (sarvabuddhadharmqnugama-j`qnena) sems can thams cad kyi phyin ci log rab tu spaxs pa'i phyir chos bstan par bya'o (dharmam bhq2itavyam) (東北 No.44, fol.617a) II.11. svakarama (菩薩の本務)とは sarvabuddhadharma にかなった知を以て衆生の 顛倒を捨てさせるために仏法(一切の仏と共有される)を説くこと。 II.2. 菩薩の自覚的行為としての〈我業〉 II.21. 〈我業〉の行動原理と起動因 469a13 菩薩解如是等諸甚深法。解一切世間悉 469a14 皆寂滅。解一切諸佛甚深妙法。解佛法世 469a15 間法等無差別。世間法入佛法。佛法入世 469a16 間法。佛法世間法而不離雜亂。世間法不壞佛 469a17 法。眞實法界不可破壞。安住三世平等正 469a18 法。亦不捨菩提心。不捨教化衆生心。増長 469a19 大慈大悲心。悉欲救度一切衆生。菩薩作 469a20 是念。我不成就衆生。誰當成就。我不調伏 469a21 衆生。誰當調伏。我不寂靜衆生誰當寂靜 469a22 我不令衆生歡喜誰當令歡喜。我不清淨 469a23 衆生誰當令清淨。菩薩復作是念。我以解 469a24 了此甚深法。見諸衆生受大苦惱趣危險 469a25 徑。爲諸煩惱之所纒縛。如重病人常被苦 469a26 痛。恩愛繋縛在生死獄。常不離地獄餓鬼 469a27 畜生閻羅王處。不能永滅無量苦聚。不離 469a28 三障。常處愚癡暗。不見眞實明。受無窮 469a29 生死不得解脱道。輪迴八難。愚癡所病諸 469b01 垢所染。沒在無量深煩惱海。邪見所惑不 469b02 睹正道。菩薩作如是觀察。衆生若未成 469b03 熟。而捨取正覺。是所不應。我當先教化 469b04 衆生。於無量劫修菩薩行。未成熟者教令 469b05 成熟。未調伏者教令調伏。諸未度者教令 469b06 得度。 ( E.text listed at http://www.ccbs.ntu.edu.tw/canon/sutra/) II.22. 然灯仏のもとにおける誓願と授記 II.221. 誓願の共有(普賢行願)が dharma を共有するものの行動原理 II.222. その行動原理と行動への起動因は正しくその誓願にある。 II.223. 密教儀礼における菩提心戒儀の儀礼はその誓願に基づく同一法(samaya)の自覚で あ ることは、その儀礼の構成からみてうなずかれる。 II.23. その自覚された行為(三密瑜伽)が kqyavqgcittavajra(身口意金剛)となるロ ジックは 行動者(sva)を基体とする (本)務(karma) と(本)分(dharma) の合 致にある点にお い て密 教の行においてもかわりはない。 II.231. 大乗の 1[nyatq, (eka)citta という原理は両者の合致を可能にさせる原理で はある。 II.232. karma の起動の契機と作動機構がどう機能するのかが密教の karma 論への序 章と なるであろう。 II.232. しかし、それが ブラーフマナの祭式儀礼や タントラ儀礼に外的に相似すること には なっても、少なくとも起動が大乗内の発働機構によることは確実 であろうかと思われる。 II.3. 行動主体が行動原理に全的にかなう状況を、加持(adhisthqna)という語が示している、と 思われる。 II.31. 三密加持という修行形態が、sm3tij`qnak]rti のいう「真言門より行を行ずる菩薩」 の実践形態であることは、しでに示した。その修行形態における「加持」の樣相が如何様に初 期の大乗教徒によって自覚されていたかを、見ておくことにしたい。
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Title: 菩薩の行動(業)と<三密>
- 三密加持とその原初の形態 -
-『華厳経』における〈我業〉(svakarma)-
Author: 生井智紹(Chisho Mamoru Namai)
Data: 1997/06/
密教研究会50記念学術大会における研究発表草稿
Date: 学術誌『 』に公表するとともに、 Web 上の別形態の可能性を探るための
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Text:
svakarman とは、自らの行為という意味であるが、それには若干検討すべきニュ
アンスが含まれる。まず karman という語は、古代インド思想界にあっては特に輪廻と
いう観念と密接に結びついて思想的に展開する。
インドにおいて人の行為は輪廻説との関わりで本来の意義が探求されはじめた。たと
えば B3hadqranyopani2ad では次のような文脈に典型的な使用例を見ることができる。
それ(Qtman)は人の行為に従い、行動に従って、それに応じたものとなります。善行
をな せば善くなり、悪行をなせば悪くなります。福徳の業によって福徳あるものとな
り、悪業によって罪あるものとなるのであります。
さて、『この人間は、じつに、欲望から成るものである』といわれております。彼は
欲望 のままにそれを意図するものとなり、何事かを意図すればそれを行い、何事をか
意図すればそれに応じたものになるのであります。(5)
この点について次の詩節があります。
執着ある人は、その特徴である思考力(欲望)がつなぎとめられているところへ、
業とともにおもむく。
この世で彼が何をなすにしても、その業(の招く果報)のはてまでいたり、再
びその世界からこの世へと業を積むためにかれはたちもどる。
欲望を持つ人の(死後の運命は)以上のとうりです。
(服部正明訳:「ウパニシャッドー自己の探求」『世界の名著 1』 p.98)
無自覚な善悪の行為を重ねることによってQtman はその自己責任を負うて輪廻する主
体となる。 仏教徒にあっては無我説が説かれ、個我として永続する輪廻の主体である
アートマンは実在しないとされる。しかし、善悪の行為が現象する限り、その果報とい
う自己責任を負うた輪廻内存在は苦としての生死を歴順することに変わりはない。
その中で輪廻的存在としての存在を見つめて自覚的行動者として自らの行動を起こし
されには本務(svakarman)を遂行する自我が探求されることになります。その際、自ら
の行為とその責任とに目覚めた自己は、その行為の規範を求めることになる。それが
dharma つまり古代インドに普遍する行動規範(dharma)との関連で捉えられとき,
dharma に関する学問 Dharma1qstra が必要とされることになる。
インド古代において、この三者がどのように認識されていたかを検討する場合、この
三者の複合語 svakarman svadharman という語が重要なキーワードとなる。つまり
自覚的行為(svakarma)と自覚された行動原理(svadharma) という風にそれぞれを捉える
ことができる。
0.321.宿業としての svak3ta p[rvakarma と karmaphala を説明する原理としての
dharma
0.322. svadharma に基ずく意識的行為としての svakarma
この状況を知る恰好の資料がインドの大叙事詩 マハーバラタの中に見られる。この語
に興味を持ったのは日本仏教学会の昨年の大会れとの関連する語をマハーバーラタの
全文テクストから検索致しますと、いくつかの興味深い用例が見出されますが、かつて
カルマーシャパーダ王の伝説に関連して研究しました次の森林章における狩人と聖人の対
話の中にこの両者の複合語の典型的な使用例が頻出致します。(1)
この部分では、まずある聖者がある人から dharma をよくしる森の狩人のことを聞き、
その狩人のもとに参ります。そこで、殺戮を生業とする狩人と聖者とが肉食をはじめとし
てさまざまな職業倫理などを含めた業と社会的規範についての対話が展開致します。その
狩人のダルマについての知識と気高い精神に感激して、聖者はその殺戮を生業とするあり
方は、その人にふさわしくないのではないかとの疑問を出します。
それに対して狩人は、このような生業は確かに残忍で苦難の生活ではあるが、それは
かつての自らの行為にもとづくからなのであり、その行為の力は避け難く振り払い難い、
しかしその自らの過去の悪業を清めることに勤めるのは、現在与えられた過去の行為の報
いとしての職業を自らの職分として受容しその分をまっとうすることがダルマにかなった
自らの行動となる、と説きます。
そしてその過去の業による現在の職分、そして自らの社会的役割(svadharama)にかな
った自覚的行動(svakarma)についての見解が狩人から陳述されていきます。
全文の詳細は省きますが、その内容から次のような分析が可能となります。
0.331. (p[rva)svakarma による dharma 上の位置 現状の根拠づけと説明
0.332. dharma による svakarman の規制 より善き生存への自覚的行動規範
0.333. svakarma(本務) / svadharma(本分)
自らの行為を自覚して行動する際に、"karman"(宿業/行動)および"dharma"(行動の原
動力/到達点)が "sva" ( dharmaとの関連で自覚された我(qtman))に結い合わされたこ
とばと理解される。自らの過去の行為による社会的規範への位置づけと、社会的規範の
中での行為の意味付け。それも単にこの世のうちのできごとで解決され得ないでも特殊
な世界観つまり輪廻的な世界のうちで合理化されるものであった。またそれは輪廻内生
存として永劫に存続しさまよう個人我(qtman)という生命観に基づく理念(dharma)のもと
に人間の行動を意義づける意味を持つ。
その意識が Qj]vika の思想的背景のもとに、あるいは仏教徒の思想背景のもとに思索
されるときに、svakarma についての若干の差異が生じてくる。この 大叙事詩のこの部分
はまさに典型的なインドの社会精神と自らの行為を示しているといえます。
I. 仏教における karma の二側面
I.01. 仏教における この行為を検討する前に、まずこの点についての仏教徒の意識の
一例を見ておきたい。仏教文献における svakarma(本務) の一用例として、次のような
文があります。
Sm3tij`qnak]rti: Bodhicittavivarazat]kq
この際、まずさとりを現前する最初のこころを発起して、この自らの務め
(svakarma/ svakriyq)を妨げるものを鎮めてその完成と自らの教主たる世尊の大い
なる功徳を解き明かそうとして聖なるNqgarujuna によって帰敬が説かれる。(2)
この場合、ナーガールジュナの本務にかなったなすべき行為は、著作説法ということ
になります。
I.1. 生存の二側面
仏教において行為ということを検討する場合、いのちの捉え方を大きく二つに分けて考
えた方がよろしかろう。
I.11. 無始爾来の生死輪廻と尽未来際の菩薩道
無明にとらわれた六道輪廻のいのちと本来の世界を目指す菩薩たちのいのちという点から
二分致しますと、行為(業)は過去現在の
I.12. 宿業に制約された非自覚的行為と自覚的創造的行為としての〈我業〉
I.2. 他世の二側面
これを輪廻という世界観に適用させていきますと、いずれもが他世(paraloka)の存在
を要請致します。
I.21. 苦の生存の根源としての非自覚的生存の連鎖
I.22. 然灯仏の下における前世の釈尊の誓願と授記
I.221.理想的修行者としての規範的菩薩(本生菩薩)と普賢を上首とする菩薩たちの実践
への 誓願(普賢行願)
I.222 .前世の誓願と尽来世際の菩薩の願に基づく菩薩行として自覚された行為の場
I.3. 行為の根拠となる心相続
I.301. 生命の維持と展開の基盤としての心相続 輪廻する苦の五蘊
I.302. 智慧と慈悲の習熟の場として連鎖する菩薩の心相続
I. 31.
【必然性】 およそ,永続する拠り所に展開し,それを妨げえないものであるかぎり,さら
にそれを努力することなくても,如何様にしても[その特性が]培われるような
[心の徳性],それは,さまざまな優れた[浄化]作用を蒙ることによ
り,明らかに,完成 の極みに達したものとなることができる。
例えば,金の純粋性のごとくである。
【所属性】この[〈心の相続〉に培われた]智慧とか慈悲とかも,上述のような特性をもつ
ものである。
【結論】 [したがって,智慧や慈悲の完成を究めることが可能である。]そして,それら
の徳性が完成に達し得るなら,そのとき光輝く〈一切智者たること〉があるはずである。
(Tattvasa/graha XXVI 3420-3422)
!qntarakita, TS XXVI 3420-3422:
ye vq sthirq1raye vttq kathacid api câhitq/ tadbhqvqyâpunaryatnavyapekq bqdhake
'sati //
saskqrotkarabhedena kqhqparyantavttaya / te sambhavanti vispaa
1qtakumbhavi1uddhivat//
yathq 'bhihitadharmqa ime matidyqdaya / teq paryantavttau ca sarvavittva
prabhqsvaram //
I.311. 意識の属性[である慈悲・智慧など]にとって,その〈依処〉となるのは〈心の
相続〉である。そして,それはその〈基体〉[である菩薩]に相応して展開するのであ
るから,如何様にしても,滅することはない。 !qntarakita, TS XXVI
3432:
mqnasqnq guqnq tu cittasantatir q1raya / sâdhqrayogato vtter na kathañcin
nivarttate //
I.32. Kamala1]la, TSP ad TS XXVI 3432: syqd etat, prajñqdes tu sthirq1rayatvam eva
katha siddham? ity qha. mqnasqnqm ity qdi. sêty cittasantati. sqdharayogato
vttêti, boddhisattvq1raya-lakaqdhqrasambandhena pravtter ity artha; vi1iasyâdhqraya
vivakitatvqt. tathq hi paralokasya prasqdhitatvqd boddhisattvqnq ca
sqtm]bh[tamahqkpqqm q sasqram a1easattvoddharaq-yâvasthqnqt tadq1rayavarttin]
cittasantatir atitarq sthirq1rayq. yq tu 1rqvakqd]nq santqna-varttin] sa na
sthirq1rayq; teq r]ghratara parinirvqqn mandatvqt kpqyqs teqm avasthqne
yatnqbhqvqd iti bhqva. Cf.also TSP ad TS 3337, TS(P) 3409-3419.
.....智慧などの永遠の拠り所であることはどのように証明されるのか。.....すなわ
ち、他世が論証され、慈悲をその本体とする菩薩達は輪廻がある限り残りなき衆生を救
い上げるために留まりたもうから、彼らの基体として展開する心の相続は無限に永遠の
拠り所となる。........
I.33.菩提と一切智者性とは自らの心[の相続]の内にこそ現証されるべきものであるか
らこそ、菩薩の心こそが 仏道の基盤(q1raya) となる。だからこそ、それが自らの自覚
的行為の基とされる。その意味で、菩提心が身口意の行動の基(q1raya)となり、菩提に
保証される行為が,つまり法(dharma)に等値される行為(svadharma にかなった
svakarman)となるロジックはインドに普遍の在り方をする。しかし、そのロジックは等
しくとも輪廻的生存内の社会的精神の規範(dharma1qstra)に基を置くか出世の菩提=
法界に置くかによって大きく異なる。
U. 『華厳経』(Buddhqvata/saka) における〈我業〉
II.1. 「十行品」の第二の行は、『華厳経』「十地品」の第二地の構成と同じ様に戒波羅
蜜の修習が問題とされる。引用掲の文は十行の三種浄戒による戒思想を説く第二段落の
部分にあたる。「十行品」は『十地経』の構成に十波羅蜜の解釈を付与した構成を採る。
まず菩薩の魔に犯されることない不壊の戒として摂律儀戒が示された後, その戒が魔を
も調伏して戒行に向わせしめる怨親不二の無差別の繞益有情戒として説かれる文脈のな
かに〈菩薩として自覚した行為〉が次のように説かれる。(3)
II.11. 『華厳経』「十行品」
467b02 永沒五欲莫之能出。我今應當作如是學。
467b03 令諸魔王天女眷屬及一切衆生立無上戒。
467b04 立淨戒已。又教令得不退轉地一切種智
467b05 成等正覺。乃至究竟無餘涅槃。何以故。此是
467b06 我業一切諸佛皆如是學。離諸非行計我無
467b07 知。觀一切佛平等深法。得一切智。爲衆生
467b08 説法。斷除顛倒。
( E.text listed at http://www.ccbs.ntu.edu.tw/canon/sutra/)
II.11. svakarama (菩薩の本務)とは sarvabuddhadharma にかなった知を以て
衆生の顛倒を捨てさせるために仏法(一切の仏と共有される)を説くこと。
II.2. 菩薩の自覚的行為としての〈我業〉
II.21. 〈我業〉の行動原理と起動因
469a13 菩薩解如是等諸甚深法。解一切世間悉
469a14 皆寂滅。解一切諸佛甚深妙法。解佛法世
469a15 間法等無差別。世間法入佛法。佛法入世
469a16 間法。佛法世間法而不離雜亂。世間法不壞佛
469a17 法。眞實法界不可破壞。安住三世平等正
469a18 法。亦不捨菩提心。不捨教化衆生心。増長
469a19 大慈大悲心。悉欲救度一切衆生。菩薩作
469a20 是念。我不成就衆生。誰當成就。我不調伏
469a21 衆生。誰當調伏。我不寂靜衆生誰當寂靜
469a22 我不令衆生歡喜誰當令歡喜。我不清淨
469a23 衆生誰當令清淨。菩薩復作是念。我以解
469a24 了此甚深法。見諸衆生受大苦惱趣危險
469a25 徑。爲諸煩惱之所纒縛。如重病人常被苦
469a26 痛。恩愛繋縛在生死獄。常不離地獄餓鬼
469a27 畜生閻羅王處。不能永滅無量苦聚。不離
469a28 三障。常處愚癡暗。不見眞實明。受無窮
469a29 生死不得解脱道。輪迴八難。愚癡所病諸
469b01 垢所染。沒在無量深煩惱海。邪見所惑不
469b02 睹正道。菩薩作如是觀察。衆生若未成
469b03 熟。而捨取正覺。是所不應。我當先教化
469b04 衆生。於無量劫修菩薩行。未成熟者教令
469b05 成熟。未調伏者教令調伏。諸未度者教令
469b06 得度。
( E.text listed at http://www.ccbs.ntu.edu.tw/canon/sutra/)
II.22. 然灯仏のもとにおける誓願と授記
II.221. 誓願の共有(普賢行願)が dharma を共有するものの行動原理
II.222. その行動原理と行動への起動因は正しくその誓願にある。
II.223. 密教儀礼における菩提心戒儀の儀礼はその誓願に基づく同一法(samaya)の自
覚であることは、その儀礼の構成からみてうなずかれる。
II.23. その自覚された行為(三密瑜伽)が kqyavqgcittavajra(身口意金剛)となる
ロジックは行動者(sva)を基体とする (本)務(karma) と(本)分(dharma) の合致にある
点にお いて密教の行においてもかわりはない。
II.231. 大乗の 1[nyatq, (eka)citta という原理は両者の合致を可能にさせる原理
ではある。
II.232. karma の起動の契機と作動機構がどう機能するのかが密教の karma 論へ
の序章と なるであろう。
II.232. しかし、それが ブラーフマナの祭式儀礼や タントラ儀礼に外的に相似する
ことにはなっても、少なくとも起動が大乗内の発働機構によることは確実であろうかと
思われる。
II.3.
行動主体が行動原理に全的にかなう状況を、加持(adhisthqna)という語が示している、
と思われる。
II.31. 三密加持という修行形態が、sm3tij`qnak]rti のいう「真言門より行を行ずる菩
薩」の実践形態であることは、すでに示した。その修行形態における「加持」の樣相が如何
様に初期の大乗教徒によって自覚されていたかを、見ておくことにしたい。
1. 0.33. 狩人と聖者との対話 Mahqbhqrata Vanavqda III.199.15ff. 0031990133/.saudaasena.puraa.raajnaa.maanuSaa.bhakSitaa.dvija./ 0031990135/.zaapa.abhibhuutena.bhRzam.atra.kim.pratibhaati.te.// 0031990141/.svadharma;iti.kRtvaa.tu.na.tyajaami.dvija.uttama./# 0031990143/.puraa.kRtam.iti.jnaatvaa.jiivaamy.etena.karmaNaa.// 0031990151/.svakarma.tyajato.brahmann.adharma;iha.dRzyate./# 0031990153/.svakarma.nirato.yas.tu.sa.dharma;iti.nizcayah.//# 0031990161/.puurvam.hi.vihitam.karma.dehinam.na.vimunncati./ 0031990163/.dhaatraa.vidhir.ayam.dRSTo.bahudhaa.karma.nirNaye.//# 0031990171/.draSTavyam.tu.bhavet.praajna.kruure.karmaNi.vartataa./ 0031990173/.katham.karma.zubham.kuryaam.katham.mucye.paraabhavaat./ 0031990175/.karmaNas.tasya.ghorasya.bahudhaa.nirNayo.bhavet.// 0031990181/.daane.ca.satya.vaakye.ca.guru.zuzruuSaNe.tathaa./ 0031990183/.dvijaati.puujane.ca.aham.dharme.ca.niratah.sadaa./ 0031990185/.atibaada.atimaanaabhyaam.nivRtto.asmi.dvija.uttama.// 0031990191/.kRSim.saadhv.iti.manyante.tatra.himsaa.paraa.smRtaa./# 0031990193/.karSanto.laangalaih.pumso.ghnanti.bhuumi.zayaan.bahuun./ 0031990195/.jiivaan.anyaamz.ca.bahuzas.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990201/.dhaanya.biijaani.yaany.aahur.briihy.aadiini.dvija.uttama./ 0031990203/.sarvaaNy.etaani.jiivanti.tatra.kim.pratibhaati.te.//20 0031990211/.adhyaakramya.pazuum.caapi.ghnanti.vai.bhakSayanti.ca./ 0031990213/.vRkSaan.atha.oSadhiiz.caiv.achindanti.puruSaa.dvija.// 0031990221/.jiivaa.hi.bahavo.brahman.vRkSeSu.ca.phaleSu.ca./ 0031990223/.udake.bahavaz.caapi.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990231/.sarvam.vyaaptam.idam.brahman.praaNibhih.praaNi.jiivanaih./ 0031990233/.matsyaa.grasante.matsyaamz.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990241/.sattvaih.sattvaani.jiivanti.bahudhaa.dvija.sattama./ 0031990243/.praaNino.anyonya.bhakSaaz.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990251/.cankramyamaaNaa.jiivaamz.ca.dharaNii.samzritaan.bahuun./ 0031990253/.padbhyaam.ghnanti.naraa.vipra.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990261/.upaviSTaah.zayaanaaz.ca.ghnanti.jiivaan.anekazah./ 0031990263/.jnaana.vijnaanavantaz.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990271/.jiivair.grastam.idam.sarvam.aakaazam.pRthivii.tathaa./ 0031990273/.avijnaanaac.ca.himsanti.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990281/.ahimsaa.iti.yad.uktam.hi.puruSair.vismitaih.puraa./ 0031990283/.ke.na.himsanti.jiivan.vai.loke.asmin.dvija.sattama./ 0031990285/.bahu.samcintya;iha.vai.na.asti.kazcid.ahimsakah.//# 0031990291/.ahimsaayaam.tu.nirataa.yatayo.dvija.sattama./ 0031990293/.kurvanty.eva.hi.himsaam.te.yatnaad.alpataraa.bhavet.// 0031990301/.aalakSyaaz.caiva.puruSaah.kule.jaataa.mahaa.guNaah./ 0031990303/.mahaa.ghoraaNi.karmaaNi.kRtvaa.lajjanti.vai.na.ca.//30 0031990311/.suhRdah.suhRdo.anyaamz.ca.durhRdaz.caapi.durhRdah./# 0031990313/.samyak.pravRttaan.puruSaan.na.samyak.anupazyatah.// 0031990321/.samRddhaiz.ca.na.nandanti.baandhavaa.baandhavair.api./ 0031990323/.guruumz.caiva.vinindanti.muuDhaah.paNDita.maaninah.// 0031990331/.bahu.loke.viparyastam.dRzyate.dvija.sattama./ 0031990333/.dharma.yuktam.adharmam.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990341/.vaktum.bahu.vidham.zakyam.dharma.adharmeSu.karmasu./ 0031990343/.svakarma.nirato.yo.hi.sa.yazo.praapnuyaan.mahat.//(E) (M.Tokunaga E-Text of Mahqbhqrata listed at ftp://ccftp.kyoto-su.ac.jp/pub/doc/sanskrit/mahabharata/)
2. de la re shig rtog pa mxon du byed pa'i sems dax pa bskyed pa dax / rax gi bya ba 'di la bar chad shi bar gyur nas mthar phyin par bya ba dax / rax gi ston pa bcam ldax 'das kyi che ba'i yon tan brjed par 'dod nas 'phags pa klu sgrub kyis phyag 'tshal ba bsuxs pa.... (東北 No.1829, fol.122b)
3. de ci'i phyir zes na | 'di ltar saxs rgyas thams cad kyi rjes su bslabs te | mi bya ba thams cad yoxs su spax ba dax | lus kyis mi 1es pa thams cad yoxs su spax pa ma yin pa dax | sems kyis kyax ma yin pa de ni bdag cag gi las yin gyis | kye rgal pa'i sras dag bdag cag gis saxs rgyas kyi chos thams cad rjes su sox ba'i ye 1es kyis (sarvabuddhadharmqnugama-j`qnena) sems can thams cad kyi phyin ci log rab tu spaxs pa'i phyir chos bstan par bya'o (dharmam bhq2itavyam) (東北 No.44, fol.617a)
Title: 菩薩の行動(業)と<三密>
- 三密加持とその原初の形態 -
-『華厳経』における〈我業〉(svakarma)-
Author: 生井智紹(Chisho Mamoru Namai)
Data: 1997/06/
密教研究会50記念学術大会における研究発表草稿
Date: 学術誌『 』に公表するとともに、 Web 上の別形態の可能性を探るための
Hyper Text 化して Web 上(http://www.bekkoame.or.jp/~vajra)において閲覧可能なものとする。
Text:
svakarman とは、自らの行為という意味であるが、それには若干検討すべきニュ アンスが含まれる。まず karman という語は、古代インド思想界にあっては特に輪廻と いう観念と密接に結びついて思想的に展開する。インドにおいて人の行為は輪廻説との関わりで本来の意義が探求されはじめた。たと えば B3hadqranyakopani2adでは次のような文脈に典型的な使用例を見ることができる。 それ(Qtman)は人の行為に従い、行動に従って、それに応じたものとなります。善行 をな せば善くなり、悪行をなせば悪くなります。福徳の業によって福徳あるものとな り、悪業によって罪あるものとなるのであります。 さて、『この人間は、じつに、欲望から成るものである』といわれております。彼は 欲望 のままにそれを意図するものとなり、何事かを意図すればそれを行い、何事をか 意図すればそれに応じたものになるのであります。(5) この点について次の詩節があります。 執着ある人は、その特徴である思考力(欲望)がつなぎとめられているところへ、 業とともにおもむく。 この世で彼が何をなすにしても、その業(の招く果報)のはてまでいたり、再 びその世界からこの世へと業を積むためにかれはたちもどる。 欲望を持つ人の(死後の運命は)以上のとうりです。 (服部正明訳:「ウパニシャッドー自己の探求」『世界の名著 1』 p.98)
無自覚な善悪の行為を重ねることによってQtman はその自己責任を負うて輪廻する主 体となる。 仏教徒にあっては無我説が説かれ、個我として永続する輪廻の主体である アートマンは実在しないとされる。しかし、善悪の行為が現象する限り、その果報とい う自己責任を負うた輪廻内存在は苦としての生死を歴順することに変わりはない。 その中で輪廻的存在としての存在を見つめて自覚的行動者として自らの行動を起こし されには本務(svakarman)を遂行する自我が探求されることになります。その際、自ら の行為とその責任とに目覚めた自己は、その行為の規範を求めることになる。それが dharma つまり古代インドに普遍する行動規範(dharma)との関連で捉えられとき, dharma に関する学問 Dharma1qstra が必要とされることになる。 インド古代において、この三者がどのように認識されていたかを検討する場合、この 三者の複合語 svakarman svadharman という語が重要なキーワードとなる。つまり 自覚的行為(svakarma)と自覚された行動原理(svadharma) という風にそれぞれを捉える ことができる。
0.321.宿業としての svak3ta p[rvakarma と karmaphala を説明する原理としての dharma 0.322. svadharma に基ずく意識的行為としての svakarma この状況を知る恰好の資料がインドの大叙事詩 マハーバラタの中に見られる。この語 に興味を持ったのは日本仏教学会の昨年の大会れとの関連する語をマハーバーラタの 全文テクストから検索致しますと、いくつかの興味深い用例が見出されますが、かつて カルマーシャパーダ王の伝説に関連して研究しました次の森林章における狩人と聖人の対 話の中にこの両者の複合語の典型的な使用例が頻出致します。(1) この部分では、まずある聖者がある人から dharma をよくしる森の狩人のことを聞き、 その狩人のもとに参ります。そこで、殺戮を生業とする狩人と聖者とが肉食をはじめとし てさまざまな職業倫理などを含めた業と社会的規範についての対話が展開致します。その 狩人のダルマについての知識と気高い精神に感激して、聖者はその殺戮を生業とするあり 方は、その人にふさわしくないのではないかとの疑問を出します。 それに対して狩人は、このような生業は確かに残忍で苦難の生活ではあるが、それは かつての自らの行為にもとづくからなのであり、その行為の力は避け難く振り払い難い、 しかしその自らの過去の悪業を清めることに勤めるのは、現在与えられた過去の行為の報 いとしての職業を自らの職分として受容しその分をまっとうすることがダルマにかなった 自らの行動となる、と説きます。 そしてその過去の業による現在の職分、そして自らの社会的役割(svadharama)にかな った自覚的行動(svakarma)についての見解が狩人から陳述されていきます。 全文の詳細は省きますが、その内容から次のような分析が可能となります。 0.331. (p[rva)svakarma による dharma 上の位置 現状の根拠づけと説明 0.332. dharma による svakarman の規制 より善き生存への自覚的行動規範 0.333. svakarma(本務) / svadharma(本分) 自らの行為を自覚して行動する際に、"karman"(宿業/行動)および"dharma"(行動の原 動力/到達点)が "sva" ( dharmaとの関連で自覚された我(qtman))に結い合わされたこ とばと理解される。自らの過去の行為による社会的規範への位置づけと、社会的規範の 中での行為の意味付け。それも単にこの世のうちのできごとで解決され得ないでも特殊 な世界観つまり輪廻的な世界のうちで合理化されるものであった。またそれは輪廻内生 存として永劫に存続しさまよう個人我(qtman)という生命観に基づく理念(dharma)のもと に人間の行動を意義づける意味を持つ。 その意識が Qj]vika の思想的背景のもとに、あるいは仏教徒の思想背景のもとに思索 されるときに、svakarma についての若干の差異が生じてくる。この 大叙事詩のこの部分 はまさに典型的なインドの社会精神と自らの行為を示しているといえます。 I. 仏教における karma の二側面 I.01. 仏教における この行為を検討する前に、まずこの点についての仏教徒の意識の 一例を見ておきたい。仏教文献における svakarma(本務) の一用例として、次のような 文があります。 Sm3tij`qnak]rti: Bodhicittavivarazat]kq この際、まずさとりを現前する最初のこころを発起して、この自らの務め (svakarma/ svakriyq)を妨げるものを鎮めてその完成と自らの教主たる世尊の大い なる功徳を解き明かそうとして聖なるNqgarujuna によって帰敬が説かれる。(2) この場合、ナーガールジュナの本務にかなったなすべき行為は、著作説法ということ になります。 I.1. 生存の二側面 仏教において行為ということを検討する場合、いのちの捉え方を大きく二つに分けて考 えた方がよろしかろう。 I.11. 無始爾来の生死輪廻と尽未来際の菩薩道 無明にとらわれた六道輪廻のいのちと本来の世界を目指す菩薩たちのいのちという点から 二分致しますと、行為(業)は過去現在の I.12. 宿業に制約された非自覚的行為と自覚的創造的行為としての〈我業〉 I.2. 他世の二側面 これを輪廻という世界観に適用させていきますと、いずれもが他世(paraloka)の存在 を要請致します。 I.21. 苦の生存の根源としての非自覚的生存の連鎖 I.22. 然灯仏の下における前世の釈尊の誓願と授記 I.221.理想的修行者としての規範的菩薩(本生菩薩)と普賢を上首とする菩薩たちの実践 への 誓願(普賢行願) I.222 .前世の誓願と尽来世際の菩薩の願に基づく菩薩行として自覚された行為の場 I.3. 行為の根拠となる心相続 I.301. 生命の維持と展開の基盤としての心相続 輪廻する苦の五蘊 I.302. 智慧と慈悲の習熟の場として連鎖する菩薩の心相続 I. 31. 【必然性】 およそ,永続する拠り所に展開し,それを妨げえないものであるかぎり,さら にそれを努力することなくても,如何様にしても[その特性が]培われるような [心の徳性],それは,さまざまな優れた[浄化]作用を蒙ることによ り,明らかに,完成 の極みに達したものとなることができる。 例えば,金の純粋性のごとくである。 【所属性】この[〈心の相続〉に培われた]智慧とか慈悲とかも,上述のような特性をもつ ものである。 【結論】 [したがって,智慧や慈悲の完成を究めることが可能である。]そして,それら の徳性が完成に達し得るなら,そのとき光輝く〈一切智者たること〉があるはずである。(Tattvasa/graha XXVI 3420-3422) !qntarakita, TS XXVI 3420-3422: ye vq sthirq1raye vttq kathacid api câhitq/ tadbhqvqyâpunaryatnavyapekq bqdhake 'sati // saskqrotkarabhedena kqhqparyantavttaya / te sambhavanti vispaa 1qtakumbhavi1uddhivat// yathq 'bhihitadharmqa ime matidyqdaya / teq paryantavttau ca sarvavittva prabhqsvaram //
I.311. 意識の属性[である慈悲・智慧など]にとって,その〈依処〉となるのは〈心の 相続〉である。そして,それはその〈基体〉[である菩薩]に相応して展開するのであ るから,如何様にしても,滅することはない。!qntarakita, TS XXVI 3432: mqnasqnq guqnq tu cittasantatir q1raya / sâdhqrayogato vtter na kathañcin nivarttate // I.32. Kamala1]la, TSP ad TS XXVI 3432: syqd etat, prajñqdes tu sthirq1rayatvam eva katha siddham? ity qha. mqnasqnqm ity qdi. sêty cittasantati. sqdharayogato vttêti, boddhisattvq1raya-lakaqdhqrasambandhena pravtter ity artha; vi1iasyâdhqraya vivakitatvqt. tathq hi paralokasya prasqdhitatvqd boddhisattvqnq ca sqtm]bh[tamahqkpqqm q sasqram a1easattvoddharaq-yâvasthqnqt tadq1rayavarttin] cittasantatir atitarq sthirq1rayq. yq tu 1rqvakqd]nq santqna-varttin] sa na sthirq1rayq; teq r]ghratara parinirvqqn mandatvqt kpqyqs teqm avasthqne yatnqbhqvqd iti bhqva.
Cf.also TSP ad TS 3337, TS(P) 3409-3419. .....智慧などの永遠の拠り所であることはどのように証明されるのか。.....すなわ ち、他世が論証され、慈悲をその本体とする菩薩達は輪廻がある限り残りなき衆生を救 い上げるために留まりたもうから、彼らの基体として展開する心の相続は無限に永遠の 拠り所となる。........ I.33.菩提と一切智者性とは自らの心[の相続]の内にこそ現証されるべきものであるか らこそ、菩薩の心こそが 仏道の基盤(q1raya) となる。だからこそ、それが自らの自覚 的行為の基とされる。その意味で、菩提心が身口意の行動の基(q1raya)となり、菩提に 保証される行為が,つまり法(dharma)に等値される行為(svadharma にかなった svakarman)となるロジックはインドに普遍の在り方をする。しかし、そのロジックは等 しくとも輪廻的生存内の社会的精神の規範(dharma1qstra)に基を置くか出世の菩提= 法界に置くかによって大きく異なる。 U. 『華厳経』(Buddhqvata/saka) における〈我業〉 II.1. 「十行品」の第二の行は、『華厳経』「十地品」の第二地の構成と同じ様に戒波羅 蜜の修習が問題とされる。引用掲の文は十行の三種浄戒による戒思想を説く第二段落の 部分にあたる。「十行品」は『十地経』の構成に十波羅蜜の解釈を付与した構成を採る。 まず菩薩の魔に犯されることない不壊の戒として摂律儀戒が示された後, その戒が魔を も調伏して戒行に向わせしめる怨親不二の無差別の繞益有情戒として説かれる文脈のな かに〈菩薩として自覚した行為〉が次のように説かれる。(3) II.11. 『華厳経』「十行品」 467b02 永沒五欲莫之能出。我今應當作如是學。 467b03 令諸魔王天女眷屬及一切衆生立無上戒。 467b04 立淨戒已。又教令得不退轉地一切種智 467b05 成等正覺。乃至究竟無餘涅槃。何以故。此是 467b06 我業一切諸佛皆如是學。離諸非行計我無 467b07 知。觀一切佛平等深法。得一切智。爲衆生 467b08 説法。斷除顛倒。 ( E.text listed at http://www.ccbs.ntu.edu.tw/canon/sutra/) II.11. svakarama (菩薩の本務)とは sarvabuddhadharma にかなった知を以て 衆生の顛倒を捨てさせるために仏法(一切の仏と共有される)を説くこと。 II.2. 菩薩の自覚的行為としての〈我業〉 II.21. 〈我業〉の行動原理と起動因 469a13 菩薩解如是等諸甚深法。解一切世間悉 469a14 皆寂滅。解一切諸佛甚深妙法。解佛法世 469a15 間法等無差別。世間法入佛法。佛法入世 469a16 間法。佛法世間法而不離雜亂。世間法不壞佛 469a17 法。眞實法界不可破壞。安住三世平等正 469a18 法。亦不捨菩提心。不捨教化衆生心。増長 469a19 大慈大悲心。悉欲救度一切衆生。菩薩作 469a20 是念。我不成就衆生。誰當成就。我不調伏 469a21 衆生。誰當調伏。我不寂靜衆生誰當寂靜 469a22 我不令衆生歡喜誰當令歡喜。我不清淨 469a23 衆生誰當令清淨。菩薩復作是念。我以解 469a24 了此甚深法。見諸衆生受大苦惱趣危險 469a25 徑。爲諸煩惱之所纒縛。如重病人常被苦 469a26 痛。恩愛繋縛在生死獄。常不離地獄餓鬼 469a27 畜生閻羅王處。不能永滅無量苦聚。不離 469a28 三障。常處愚癡暗。不見眞實明。受無窮 469a29 生死不得解脱道。輪迴八難。愚癡所病諸 469b01 垢所染。沒在無量深煩惱海。邪見所惑不 469b02 睹正道。菩薩作如是觀察。衆生若未成 469b03 熟。而捨取正覺。是所不應。我當先教化 469b04 衆生。於無量劫修菩薩行。未成熟者教令 469b05 成熟。未調伏者教令調伏。諸未度者教令 469b06 得度。 ( E.text listed at http://www.ccbs.ntu.edu.tw/canon/sutra/) II.22. 然灯仏のもとにおける誓願と授記 II.221. 誓願の共有(普賢行願)が dharma を共有するものの行動原理 II.222. その行動原理と行動への起動因は正しくその誓願にある。 II.223. 密教儀礼における菩提心戒儀の儀礼はその誓願に基づく同一法(samaya)の自 覚であることは、その儀礼の構成からみてうなずかれる。 II.23. その自覚された行為(三密瑜伽)が kqyavqgcittavajra(身口意金剛)となる ロジックは行動者(sva)を基体とする (本)務(karma) と(本)分(dharma) の合致にある 点にお いて密教の行においてもかわりはない。 II.231. 大乗の 1[nyatq, (eka)citta という原理は両者の合致を可能にさせる原理 ではある。 II.232. karma の起動の契機と作動機構がどう機能するのかが密教の karma 論へ の序章と なるであろう。 II.232. しかし、それが ブラーフマナの祭式儀礼や タントラ儀礼に外的に相似する ことにはなっても、少なくとも起動が大乗内の発働機構によることは確実であろうかと 思われる。 II.3. 行動主体が行動原理に全的にかなう状況を、加持(adhisthqna)という語が示している、 と思われる。 II.31. 三密加持という修行形態が、sm3tij`qnak]rti のいう「真言門より行を行ずる菩 薩」の実践形態であることは、すでに示した。その修行形態における「加持」の樣相が如何 様に初期の大乗教徒によって自覚されていたかを、見ておくことにしたい。
1. 0.33. 狩人と聖者との対話 Mahqbhqrata Vanavqda III.199.15ff. 0031990133/.saudaasena.puraa.raajnaa.maanuSaa.bhakSitaa.dvija./ 0031990135/.zaapa.abhibhuutena.bhRzam.atra.kim.pratibhaati.te.// 0031990141/.svadharma;iti.kRtvaa.tu.na.tyajaami.dvija.uttama./# 0031990143/.puraa.kRtam.iti.jnaatvaa.jiivaamy.etena.karmaNaa.// 0031990151/.svakarma.tyajato.brahmann.adharma;iha.dRzyate./# 0031990153/.svakarma.nirato.yas.tu.sa.dharma;iti.nizcayah.//# 0031990161/.puurvam.hi.vihitam.karma.dehinam.na.vimunncati./ 0031990163/.dhaatraa.vidhir.ayam.dRSTo.bahudhaa.karma.nirNaye.//# 0031990171/.draSTavyam.tu.bhavet.praajna.kruure.karmaNi.vartataa./ 0031990173/.katham.karma.zubham.kuryaam.katham.mucye.paraabhavaat./ 0031990175/.karmaNas.tasya.ghorasya.bahudhaa.nirNayo.bhavet.// 0031990181/.daane.ca.satya.vaakye.ca.guru.zuzruuSaNe.tathaa./ 0031990183/.dvijaati.puujane.ca.aham.dharme.ca.niratah.sadaa./ 0031990185/.atibaada.atimaanaabhyaam.nivRtto.asmi.dvija.uttama.// 0031990191/.kRSim.saadhv.iti.manyante.tatra.himsaa.paraa.smRtaa./# 0031990193/.karSanto.laangalaih.pumso.ghnanti.bhuumi.zayaan.bahuun./ 0031990195/.jiivaan.anyaamz.ca.bahuzas.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990201/.dhaanya.biijaani.yaany.aahur.briihy.aadiini.dvija.uttama./ 0031990203/.sarvaaNy.etaani.jiivanti.tatra.kim.pratibhaati.te.//20 0031990211/.adhyaakramya.pazuum.caapi.ghnanti.vai.bhakSayanti.ca./ 0031990213/.vRkSaan.atha.oSadhiiz.caiv.achindanti.puruSaa.dvija.// 0031990221/.jiivaa.hi.bahavo.brahman.vRkSeSu.ca.phaleSu.ca./ 0031990223/.udake.bahavaz.caapi.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990231/.sarvam.vyaaptam.idam.brahman.praaNibhih.praaNi.jiivanaih./ 0031990233/.matsyaa.grasante.matsyaamz.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990241/.sattvaih.sattvaani.jiivanti.bahudhaa.dvija.sattama./ 0031990243/.praaNino.anyonya.bhakSaaz.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990251/.cankramyamaaNaa.jiivaamz.ca.dharaNii.samzritaan.bahuun./ 0031990253/.padbhyaam.ghnanti.naraa.vipra.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990261/.upaviSTaah.zayaanaaz.ca.ghnanti.jiivaan.anekazah./ 0031990263/.jnaana.vijnaanavantaz.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990271/.jiivair.grastam.idam.sarvam.aakaazam.pRthivii.tathaa./ 0031990273/.avijnaanaac.ca.himsanti.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990281/.ahimsaa.iti.yad.uktam.hi.puruSair.vismitaih.puraa./ 0031990283/.ke.na.himsanti.jiivan.vai.loke.asmin.dvija.sattama./ 0031990285/.bahu.samcintya;iha.vai.na.asti.kazcid.ahimsakah.//# 0031990291/.ahimsaayaam.tu.nirataa.yatayo.dvija.sattama./ 0031990293/.kurvanty.eva.hi.himsaam.te.yatnaad.alpataraa.bhavet.// 0031990301/.aalakSyaaz.caiva.puruSaah.kule.jaataa.mahaa.guNaah./ 0031990303/.mahaa.ghoraaNi.karmaaNi.kRtvaa.lajjanti.vai.na.ca.//30 0031990311/.suhRdah.suhRdo.anyaamz.ca.durhRdaz.caapi.durhRdah./# 0031990313/.samyak.pravRttaan.puruSaan.na.samyak.anupazyatah.// 0031990321/.samRddhaiz.ca.na.nandanti.baandhavaa.baandhavair.api./ 0031990323/.guruumz.caiva.vinindanti.muuDhaah.paNDita.maaninah.// 0031990331/.bahu.loke.viparyastam.dRzyate.dvija.sattama./ 0031990333/.dharma.yuktam.adharmam.ca.tatra.kim.pratibhaati.te.// 0031990341/.vaktum.bahu.vidham.zakyam.dharma.adharmeSu.karmasu./ 0031990343/.svakarma.nirato.yo.hi.sa.yazo.praapnuyaan.mahat.//(E) (M.Tokunaga E-Text of Mahqbhqrata listed at ftp://ccftp.kyoto-su.ac.jp/pub/doc/sanskrit/mahabharata/)
2. de la re shig rtog pa mxon du byed pa'i sems dax pa bskyed pa dax / rax gi bya ba 'di la bar chad shi bar gyur nas mthar phyin par bya ba dax / rax gi ston pa bcam ldax 'das kyi che ba'i yon tan brjed par 'dod nas 'phags pa klu sgrub kyis phyag 'tshal ba bsuxs pa.... (東北 No.1829, fol.122b)
3. de ci'i phyir zes na | 'di ltar saxs rgyas thams cad kyi rjes su bslabs te | mi bya ba thams cad yoxs su spax ba dax | lus kyis mi 1es pa thams cad yoxs su spax pa ma yin pa dax | sems kyis kyax ma yin pa de ni bdag cag gi las yin gyis | kye rgal pa'i sras dag bdag cag gis saxs rgyas kyi chos thams cad rjes su sox ba'i ye 1es kyis (sarvabuddhadharmqnugama-j`qnena) sems can thams cad kyi phyin ci log rab tu spaxs pa'i phyir chos bstan par bya'o (dharmam bhq2itavyam) (東北 No.44, fol.617a)
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In the middle of the 8th century, there sprouted out many treaties on bodhicittabhqvanq among Indian Buddhists. This tendency may have been influenced and inspired chiefly by the Mahqvairocanqbhisambodhis[tra.
These bodhicittabhqvanq-treatises are composed in order to meditate on one's own mind (svacitta) that is equal to bodhi (/dharmadhqtu). During the meditation, a practician gradually elevates/deepens the state of meditation from the realistic viewpoint to the idealistic one, and then let himself realize his own nature of mind, i.e. 1[nyatq / tathatq.
The movement to build the systematic procedure(krama) of meditation corresponds to the growth of integration of the four Buddhist philosophical systems, as three Bhqvanqkramas of Kamala1] la represent.
These kinds of bhqvanqkrama are systematized by interpreting some verses in later Buddhist tantras such as Guhyasamqjatantra II, XV 135 etc. There exist various types of krama according to the different philosophical traditions. Ratnqkara1qnti interprets these verses from the standpoint of Nirqkqravij`qnavqda, whereas Lak1m] and the followers of Qrya-tradition interpret them from the viewpoint of Mqdhyamika.
I would like to present a sketch of the growth/ sophistication / various philosophical interpretations of these bodhicittabhqvanqkramas with an essay to trace their influence in the Tibetan Esoteric Buddhist Traditions.
Abstruct of the paper presented at the 3rd International Dharmakiirti Conference
Dharmak]rti, in his Pramqzavqrttika Chap.II, expounds cittasantqna theory especially concerning to the doctrine of universal momentaritiness ( k2azabhaxga). !r]dhara, commenting on Pra1astapqda's demonstration of qtman by means of pari1e2a criticize the Buddhist doctrine of k2azabhaxga precisely. At the end of the criticism, he develops an argument against the demonstration of other existences(paralokasiddhi) by the Dharmak]rtian Tradition.
His way of argumentation is deeply influenced by the later developed epistemological discourse between later Buddhist philosophers - such as Kamala1]la and Dharmottara - and a Lokqyata, Jaryarq1i, the author of Tattvopaplavasi/ha.Jayarq1i, discussing against the kqryqnumqna theory (i.e. inference of fire from smoke) of Dharmak]rti, develops an argument concerning the cittasantqna theory of Dharmak]rti. Kamala1]la and Dharmottara also pertains to this new issue of problem. Their point of issue seems to form the back-ground for the argument of !r]dhara.
The necessary causal concomitance of each moment of cittasantqna seems to be a foundation for establishing the theory of kqryqnumqna in connection with the Buddhist paralokasiddhi, not only in Buddhist / Lokqyata circles but also even for Nyqyavai1e2ikas.
I would like to present the philosophical context of the Buddhist paralokasiddhi found in the statement of !r]dhara, tracing back the changing phases up to Dharmak]rti.